後に天下を取るはずの男、家康、苦難の伊賀越え
この時、伊賀甲賀の地元民と交渉し、警護の協力させ、指揮をとったのが服部正成。通称、服部半蔵である
家康はたいそう感謝し、後に、住民たちは伊賀同心・甲賀同心として徳川幕府に仕えている
皇居の半蔵門とは、門の前に服部半蔵の屋敷があったからだそうな
そして、徳川幕府に仕えるようになり、里山に住む伊賀甲賀の民は裕福な生活を送ることができるようになった
元々、火薬の調合などで生計を立てていた人々だが、江戸時代は平和な時代であったため、次第に薬を作り、生計を立てるようになる
さて、ここで困ったことが起こる
山賊盗賊が里山の財産を狙い始めたのだ
財産を奪われにくいように、知恵を絞り、この家主である望月さんはこんなような家を作ったのだ
いや、財産は奪われてもいいが、命だけは奪われないように、泥棒から逃げるための時間稼ぎをするために、仕掛けを作ったと言ったほうがよいかもしれない。
さらに目の前の襲いかかってくる泥棒から逃れるために、色々な技を考えたのである。
そんな風にして、伊賀甲賀の里山に忍者ありと言う伝説ができたということじゃ
まだまだ続く。。