ブロ愚のグ

読んだら危険!!  自分本位に思ったままのことを綴っているので、理解不能な表現も随所に見られます。また、カテゴリーのauブログは画像が喪失。あしからずご了承ください。。。

熊野大社には

出雲大社と同格の神社らしい。だから大社と言うのかと妙に納得する。。。
祀られている神は、長い長い名前で漢字ばっかしなので、覚えきれなかったが、スサノヲの別名らしい。

和歌山県のとはどう違うのかという説明も書いてあったが、ものすごく曖昧な表現で、よくわからないということがよくわかった。よくわからないというのはつまり、証拠となるものが一切なく、時代背景から推測するしかないということであろう。。。

ま、大和朝廷が都合の悪いことは記録に残さなかったという風に見ることも出来なくもない。。。。。


熊野大社前には、立派な橋が架かっている。橋を渡ると、お手水があるが、かつては川を渡って来るしかないわけで、つまりは、ヒョイヒョイと飛び越えられたかもしれないが、足を滑らしたりすると、最悪全身ズブ濡れ。全身を清めて入って来なさいということだったのかもしれない。
ふと思い出すと、出雲大社のでっかい鳥居の前は川だったなあ。。。。八重垣神社も。。。基本、参拝とはそういうことなのかと。

f:id:sammy-take:20110827130413j:image:w360


なかなかどうして、切れ目なく参拝客がやって来る神社である。

f:id:sammy-take:20110827131303j:image:w360


八岐大蛇を退治したスサノヲが生け贄となるところを助けたクシナダ姫と一緒に住んだ須我神社がクルマで15分ほどの、すぐ近くにある。ここで初めて和歌が詠まれたとされる。しかし、スサノオ自身はあちこち行ってしまうんだろうけど、こんな山の中にクシナダ姫をよく一人にさせておいたなあと思ったが、後に八重垣神社に引っ越したそうな?ヤンチャな神として有名だったが、さすがに人の心?いや神の心を持っていたようだ。

熊野大社は、八岐大蛇を退治したことで、農作物の被害が少なくなり、その地域一帯は平和に暮らせるようになったという意味を込めての神社であろうと勝手に想像する。

まあ、須我神社から熊野大社から八重垣神社は一本道でつながっていることは何も不思議ではない。
途中、巨大迷路の看板があちこちにあり行ってみたくて仕方がなかったが、そんな時間はない、超特急の探索であった。


時代とともに神社も移り変わり、特に、明治時代以降は大幅な神社の再編が行われたため、突き詰めて行くと、つじつまが合わなくなっている部分もあるが、勉強不足の政治家が勝手な都合で変えてしまったのだと嘆くばかりだ。。。。そんなことに気づき始めた昨今である。